飛鳥時代と奈良時代の違い・流れからわかりやすく解説!

飛鳥時代から奈良時代にかけて

飛鳥時代の前期に活躍した聖徳太子後期に活躍した天智天皇と皇族の方々、彼らの功績により、今の日本の基礎となるインフラがつくられてきました

奈良時代に入ってからも、日本のインフラづくりが加速していきます。

この辺からは登場人物が多くなり、しかもみんな名前も似たり寄ったりです!正直大事なのは大まかな流れですからね!いちいち名前なんて気にしていられません、今歴史に興味を持ち始めているアナタ!是非とも流れを大事にして下さいね^^




 

 

大宝律令をつくった人

天智天皇が死んだあと、文武天皇の指示で、藤原不比等らを中心として『大宝律令』が制定されました。

・・・。

急に”藤原さん”が登場!誰ですか!?藤原竜也!?

いいえ違います。

なんと、あの天智天皇と一緒に蘇我氏を滅ぼした『中臣鎌足』の息子さんでした。

 

名前より流れが大事とか言っといて、すでに3人程の名前が出てきてしまいましたが、この相関関係を押さえないと歴史の流れ自体が掴めません(すみません。)。

 

ちなみに中臣鎌足は死ぬ直前に『あんたがんばったな!』ということで、天皇から『藤原』という姓をもらったのです。ですので中臣鎌足=藤原鎌足藤原鎌足の息子⇒藤原不比等。この構図が完成するのですね(・_・)




 

大宝律令って何?

『大宝』大宝という年号の時代

に作られた

『律』刑罰についての定め

『令』行政の仕組みや、税についての仕組みなどについての定め

簡単にいうと上記のことです。

ちなみに『律』には、ムチ打ちの刑や島流しや死刑などが書かれていたそうです。人を殺した場合は死刑祖父母・父母をののしった場合は懲役3年夫を殴った場合はムチ打ち100回だったそうです。

個人的には、このぐらい分かりやすい法律の方が犯罪が減るんじゃないかと思ってます(@_@;)

 

和同開珎も登場

和同開珎(わどうかいちん)、お金ですよねお金)^o^(日本で初めてできたお金

でもじつは、この和同開珎の登場前から世の中にお金は存在していたのです。ただ、それらは民間人が独自のルールで使っていたらしく商店街内の商品券みたいなものだったのでしょう。

それに対し、和同開珎は国が認めたお金だったということです。まぁたしかに言ってみれば、日本初の認められたお金だったってわけですね。

 

人々は和同開珎で税を納めてたの?

お金(和同開珎)ができたなら、みんな和同開珎で税を納めてたのかぁ~。とおもいきや、税は米で納めるままだったのです。

重いのに!めんどくさっ!

それはなぜか?・・

まだまだ生きること自体が、人生の最大の目的のこの時代。食べるということはとても大切な意味をもっていました。食べることで生き、生きていくことで子供を産み、その子供が食べることで育っていく。

この連鎖が保たれて、初めて国民の数が増え、国が豊かになっていく

この大事なポイントを押さえていた、当時の天皇や官僚たちは、お金を流通させることでは、民は繁栄しないしかしたべものを流通させるとこで民は繁栄する

この仕組みを広くいきわたらせるために、税は米で納めさせました。こうすることによって、たしかにお金は便利ですが、流通に使われるのは米になるので、ひとびとの間でも何かを買う時に米がさかんに取引される、それによって色々な場所に米が行き渡ったのです

 

民は生きる事ができる!

 

すごいですね・・ここまで考えて、便利なお金ではなく米を納税の中心にしたのですね(@_@;)

 

まとめ

・大宝律令により、刑罰、行政の仕組み、税のあり方が出来た

・和同開珎は国が始初めて認めたお金

・民が栄えるよう、広く米を行き渡らせるために、お金ではなく米を中心とした流通社会をつくった

争いからはなにも生まれない、なんて言葉がありますが、飛鳥時代末期の蘇我氏がそれを教えてくれたような気がします。

蘇我氏がもし殺されずに権力を握っていたら、その権力を奪おうとするひとが、蘇我氏を殺して権力を握ったでしょうそうなるともはや無限ループでいつまでたっても文化が積みあがってこなかったでしょう

平和な中でこそ、生産性のあるものが積みあがっていくのですね。

会社でもそういう気持ちを大切にコミュニケーション第一にがんばっていきたいと思います・・。

この時代、飛鳥時代前期についての記事はコチラ

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