飛鳥時代とはいつから?聖徳太子からの流れをわかりやすく解説!(前半)

飛鳥時代とは

(出展:Wikipedia)

飛鳥時代、この辺から”日本の歴史”っぽさを感じる雰囲気が出てきますね。

さて、この時代ですが、おおまかな流れからいうと、前半は『聖徳太子』が中心の時代。後半は『天皇』が中心の時代。

特に、飛鳥時代前半の『聖徳太子』が何をした人なのかは、この後の日本という国作りにおいて、切っても切れないところです。

聖徳太子がつくった憲法が現代社会の日本人の心にも脈々と受け継がれています。日本人のモラルや秩序といったものが、この憲法にはふんだんに盛り込まれているのです。

具体的にどのような時代だったのかを見ていきましょう!




 

飛鳥時代(前半):聖徳太子は何者?

(出展:http://www.butsuzou.com/jiten/syoutoku1.html)

聖徳太子といえば、冠位十二階と十七条憲法が思い浮かびます。彼がどんな立ち位置で、何を思い、この制度をつくっていったのか・・

それを知るにはまず、その時代の背景がどんなものであったのかが、大事になってきます。

その時代、お隣の朝鮮半島には『高句麗』というめちゃくちゃ強い国がありましたさらに中国大陸の方には、『隋』という軍事大国が出来上がってきていました

『高句麗』と『隋』は戦争を続けており、国は小さいながらも『高句麗』がだいぶ優勢だったようです。

そこで『隋』は『高句麗』の背後にあたる『日本』に協力をしてもらおうと思っていました。(ちなみにこの時代、今もですが、隋「中国」は、大国としてのプライドが高く、日本含め他の国を下に見ています。これは文化的なものなので、それが良いとか悪いでの判断は出来ないです。)

ちょうどその頃、皇族である聖徳太子(本名:厩戸王)が推古天皇の摂政になりました。

※摂政とは・・天皇がまだ幼い場合に、代わって国事を行う役割のひと




 

聖徳太子の功績

(出展:Wikipedia)

『隋』と『高句麗』が争っている状況をみて、聖徳太子はこう考えます。

聖徳太子『あの超軍事大国の隋が負けそうで、しかも日本に頼ろうとしてる!いつも隋は、隣国がペコペコしないと気に入らないって態度だけど、今なら対等な国として日本を認めさせることができるんじゃね!?

そのためにはうち(日本)もちゃんと国としての制度基盤をしっかりして、防御力高めたら一気に隋に対等な顔をしにいこう!』

こう考えた(かどうかは不明ですが)聖徳太子は、《冠位十二階》で国の中の上下関係をつくり《憲法十七条》で国民としての大事な気持ちの統一を図りました。

そうしていよいよ、国の基盤ができたと感じた聖徳太子は、右腕の小野妹子を『隋』に向かわせたのです。

小野妹子が『隋』の皇帝に伝えたこと↓↓

小野妹子『あなたの国も私たちの国も対等よ!そんな感じでこれからもよろしくね!』

隋の皇帝『ぬおぉぉぉぉお!!!!怒(なんやコイツ急に来てエラそうに!!でもここでぶちぎれて日本が高句麗側の味方についたら大変・・汗)』

こうして、聖徳太子の当初考えたゲームメイク通り、『隋』に対して、自分たち日本が対等であると認めさせたのでした。

聖徳太子まじ名監督!って感じですね

 

まとめ

・飛鳥時代は『隋(中国)』と『高句麗(朝鮮)』が戦っていた

・聖徳太子が皇族として生まれる

・日本の国力を高めるために聖徳太子は《冠位十二階》と《十七条憲法》をつくった

・『隋』の痛い所をつき、聖徳太子が日本は隋と対等な国だと認めさせた

やっぱり人生においてタイミングって大事なんですね~。その絶好のタイミングがきた時にしっかりとチャンスを掴めるよう準備(努力)しておくことが、いつの時代にも大切なことだと気づかされる歴史の流れでした。

きっと努力は裏切らない・・一緒にがんばりましょう!

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