江戸時代の経済は?参勤交代や政治はすごい?前の時代から末期までをわかりやすく解説!

江戸時代誕生までの流れ

安土桃山時代

”世界からの侵略”を感じる事で、日本が一つにならなければならない!と信念を持った『織田信長』と『豊臣秀吉』。そんな彼らにも命のおわりが訪れます。

信長の死後は、秀吉が意思を継ぎましたが、秀吉の死後にその意思をついだのは徳川家康です。

江戸時代がどのように始まり、どのように終わりを迎えていったのか・・

ぶったぎり君
5分で簡単に分かりやすくまとめたので見ていきましょう!




 

 

関ヶ原の戦い

よく『天下分け目の!』だとか『最後の合戦!』てな感じで耳にするのが”関ヶ原の戦い”です。

豊臣秀吉が死ぬと、いよいよ『徳川家康』の勢いが強まりました。

この頃になると、日本の統一化がなされていっており、”豊臣軍(秀吉を好き)”と”徳川軍(家康を好き)”の2大勢力にまで巨大勢力は減っていました。

 バラバラだった日本の民族が統一するまであと一歩って感じの時期です。

関ヶ原(岐阜県)で、この2大勢力がぶつかり、”徳川軍”が勝利を納めたことによって、その後300年続く安泰の江戸時代に入っていきます。

ちなみに元々、徳川家康は豊臣秀吉の家臣です。

ある時、豊臣秀吉は徳川家康に『江戸(東京)』へ行くように命じます。

当時の江戸はガンガン湿地帯でしたので沼ばかり・・。

こうした状況でも家康は二つ返事で江戸へ行き、お城を立て、インフラを整え町をつくっていったのでした。

やっぱり人間どんな時でも、プラスに捉える心が大事なんですね(´◉◞౪◟◉)

 

徳川幕府!爆誕!

豊臣軍に勝利した徳川家康は『征夷大将軍』に任命され、江戸幕府を開きました。

征夷大将軍とは

ちなみに『征夷大将軍』は、当時は東北地方を制圧した功績の出た将軍に与えられたものでしたが、どんどん意味が変わって、最終的には、”一番強い将軍”に与えられる称号ってニュアンスになっていました。

 

織田信長・豊臣秀吉の意思は継がれていた?

家康は数年のうちに、将軍職を身内に譲り退職しますが、その後も徳川家は300年に渡り様々な政策を行っていきます。

織田信長や豊臣秀吉が禁止していたキリスト教を、徳川幕府でも、まず江戸近辺で禁止にします。

そして次の年には、全国に渡ってキリスト教を禁止にする政策を行いました。

これは秀吉の意思を継いでいたというよりは、この時代のそれなりに偉かった人たちはなんだかんだで最新の情報を共有しています。(今もお金持ちの人はお金持ちの人とつながっていて最新の情報共有がなされてますよね!)

そうした中で、それなりに偉い人たちは、”外国の脅威”を情報として知っていました。

なので徳川幕府がキリスト教を禁止するのも納得がいく、というか当たり前の風潮でした。

 

恨みは争いしか生まない・・

江戸幕府が開かれてすぐは、恨みの連鎖は実はまだ続いていました。

そうです、豊臣秀吉の子孫です。

この時代までも歴史上何度もありました、恨みの連鎖・・。

江戸時代最初で最後の日本国内での大きな内乱!”大阪冬の陣と夏の陣”です。

結果的に秀吉の子孫たちは敗れ、恨みの連鎖は断ち切られました。

 

結局恨みの連鎖を止めるには、息の根をとめるしかないのでしょうか・・

人類の大きな課題な気がします( ゚Д゚)

 

ここまでの要約

・徳川家康と豊臣秀吉は元は仲間。

・徳川家康は豊臣秀吉の命令で”湿地帯”で住みにくい江戸の土地に飛ばされた

・徳川家康はそんな江戸で逆にインフラを整え、東の地方で勢力を拡大していった。

・徳川VS豊臣 ⇒ 結果:徳川勝利!

・徳川政権になってもキリスト教引き続き禁止!(日本を植民地にされないようにするため。)

・豊臣家の恨みの残り香を武力で滅ぼし、安定の江戸時代へ突入。

徳川家康の言葉に『泣くまで待とうホトトギス』というのがあります。

どんな状況下におかれてもチャンスを待ちながらコツコツと目的のために動きを止めない。こうした人(ここでは徳川家康)が最終的に結果を得られる人間なのですね。

もしも、家康が江戸にとばされた時点で、

徳川家康
『まぁあとは死ぬまでここでのんびり暮らしますか~Zzz・・』

的な気持ちで暮らしていたら、確実に、彼はそれ以上何も手にいれられなかったでしょう( ˘•ω•˘ )

豊臣秀吉が徳川家康に負けた理由

秀吉が負けた理由の一つには、勢いがあった頃のような政策がバンバンうてなくなっていた(うたなくなっていた?)からだとも思います。ある程度現状に満足して今の地位というものに目線が傾くと、こういった心理状況になるのはわからんでもないですけどね(´◉◞౪◟◉)!




 

江戸時代・初期の政策

歴史から見る江戸時代の捉え方

そもそも江戸幕府というのは、日本史上では3つ目の幕府にあたります。

  1. 番目は鎌倉幕府
  2. 番目は室町幕府
  3. 番目が江戸幕府

です。

 

”賢者は歴史に学び、愚か者は経験に学ぶ”という有名な言葉の通り、江戸幕府は過去2つの幕府が犯した失敗や成功の歴史を、熟考した形での政治を行っていきます。

 

歴史の失敗例

『鎌倉時代』では、将軍ではなくその二番手が”政務を執行する者”として、政治が行われました。これを執権政治と言います。鎌倉時代を学習した時に出てきたとおり、こうした政治は失敗に終わりました。

『室町時代』では、幕府の財政難もあり、また各地方それぞれが集団としてのコミュニティーをしっかり作り、各地方の力がどんどん強くなってしまった為、政治は失敗に終わりました。

 

こうした歴史をしっかりと考慮した上で、江戸幕府は政治体制をつくりあげたのです。

 

江戸幕府の対策

鎌倉時代の失敗についての対策は、老中(ろうじゅう)という役職を複数人置いたことです。

これにより誰か一人の力だけが強くなることを防ぎました。

室町時代の失敗についての対策は、江戸幕府自身が、日本全国の1/4の土地を直接支配したことです。

これにより各地方がそれぞれに力を強くしていく事を防ぎました。

 

まずは、この考えの元、スタートしたのが江戸時代(江戸幕府)であったというのがポイントです。

 

武家諸法度と禁中並公家諸法度

江戸時代初期の政策として有名なのが、

『武家諸法度(ぶけしょはっと)』

『禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)』

です。

 

『武家諸法度』の武家とは”大名”のことを指します。

各地の大名を統制する為につくった法律のようなものです。

 

『禁中並公家諸法度』は、天皇や公家(天皇に仕える貴族や官僚)たちと、江戸幕府との関係性を明確にしておくための法律です。

天皇は天皇らしく天皇としての業務だけをとりおこなっといてください、そうじゃないとまた権力闘争とかのタネになるんで・・的なことなのでしょう。

こうした法律をまず整えて、歴史の失敗を繰り返さないようにしたのですね(・_・)

 

参勤交代

これも江戸時代初期の有名な政策『参勤交代』です。

諸説ありますが、今まで学んできた日本人の歴史からの文化的に、『各地の大名の財政を貧しくさせるために江戸へこさせた。』という説は少し違います。

そもそもそんな動機で参勤交代が強制されていたのであれば、そんなに長く江戸時代は続くことは出来ず、それ以前の時代のように、世論の空気から幕府を追い詰める誰かが現れて、将軍は引きずりおろされたのではないかと推測できるからです。

これまでの歴史で”日本文化”は『人のため』という気持ちが足りない者は、早い段階で淘汰されていくのが定石でした。

参勤交代は、”江戸幕府への帰属性”のマインドを保たせるためにやった説が一番有力です。

参勤交代の狙い

”江戸(本社)から地方(子会社)へ長期出張している大名が、数年に一度、江戸(本社)へ戻ってくる。そうした文化をつくることで、大名は『そうそうおれの本社は江戸なんだよなぁ~、また地方(子会社)へ長期出張にいったら江戸(本社)の人間としてしっかり地方を取りまとめていくぞ!』という気持ちを持たせることが狙いだったのです。

そして、参勤交代は世に言われているような、庶民が土下座して通りすがるのを待った、ではないようです。

普通に庶民の娯楽としての意味合いもあったのです。

感覚的にはサンバみたいなものですかね、たしかに目上の人にあたるので、無礼は許されませんでしたが、『飛脚』や『お産婆さん』は参勤交代の中を突っ切っても許されたのです。

 

日本人文化として、簡単に想像できますよね!現代でも救急車が後ろから来たときは、みんな暗黙の了解で車をハジヘ寄せていくじゃないですか!

歴史上、オカルト的に、いきなり高度な文化が誕生したり、民族性が急に変わったりってことはありえないのです。

現代の救急車への感覚は、当然に江戸時代の日本人たちも持っていたと考えるのが普通でしょう(@_@)

 

鎖国

もともと室町時代後期(戦国の時代)、外国からの侵略の脅威というものがあり、それに抗う形で国が統一されていったイキサツがあります。

ですので、外国とあまり関わらないようにしようとするのは、至極当然と言えば当然です。

別の角度からの意味

また、外国との取引(貿易)は、うまくいけば”最新の武器”を手に入れたり、貿易によって儲けることができ富を手にすることができます。

こうした大名が増える事で、各地の大名が力を手に入れ、また歴史の失敗を繰り返すことを懸念したこも挙げられます。

 

ここまでの要約

・江戸時代は、それ以前の歴史の失敗に学び、同じ過ちを繰り返さないようにとスタートした。

・『大名』『天皇』『公家』それぞれを強制する法律をつくり、どこかひとつに力が偏らないようにした。

・参勤交代は、本社化から子会社への長期出張。

・鎖国は、外国の脅威への対策+歴史の過去の失敗を繰り返さない是正処置として実行された。

こんな一連の政策が、江戸時代の初期(1代目か3代目)までに執り行った政策でした。




 

江戸時代・中期の政策

江戸時代、3代目までの将軍の時代で、ほぼ幕府の根幹となるインフラが整いました。

【おさらい】江戸時代初期のインフラ整備

『武家諸法度』で、大名を統制する法を整え。

  • 『禁中並公家諸法度』で、天皇や公家の役割明記により政治利用を抑えこみ。
  • 『参勤交代』で、大名の国への帰属性を高め。
  • 『鎖国』で、外国からの脅威を避け、国が再びバラバラになるリスクを抑えた。

さらに強固なインフラ整備!

世の安定のため、精神的なインフラが初期の頃には整いました。

そうなってくると次に手をつけていくのは、物理的なインフラ整備です。

 

少し想像してみたいのですが、貧乏な国というとどこを思い浮かべるでしょうか?・・

 

行った事がないのに言うのも大変失礼なのですが、東南アジアの国で、しかもその国の地方の地域を想像します。

その想像した地域での暮らしは、規律があまりなく道路は砂ぼこりまみれるような状態・・と考えるひとは多いのではないでしょうか。

 

このことから逆算すると、規律が整い道路もかなり整備されているという国が、豊かな国の定義になると思います。

 

そんな豊かな国になる為に、このころの江戸時代では道路整備がなされます。

『五街道』の整備!

五街道とは、”東海道”・”日光街道”・”奥州街道”・”中山道”・”甲州街道”のことです。

今でもめちゃくちゃ使われている大通りですよね(@_@;)

 

黄金文化の繁栄

この頃は、世が安定したことにより文化が栄えます。

”元禄文化”と呼ばれたこの文化では、俳句ができたり、歌舞伎が流行ったり、学問も盛んになります。こうした文化の繁栄が元禄文化とよばれ、江戸黄金期とも呼ばれています。

 

『生類憐みの令』の本当の狙いは・・福祉の心得の法律!?

同じく江戸時代中期には、とても有名な『生類憐みの令』という法律が施行されます。

学生時代に習った記憶では、徳川綱吉という将軍が、犬を大好きで犬を邪険にする者を処罰しまくった!・・なんて感じのイメージではないでしょうか?

 

しかしながら、この法律の狙いは

『福祉法』

であったという説が有力です。

 

そもそも『生類憐みの令』とは、約130以上もの法令を総称した呼び方なだけなのです。

”お犬様!”がよく取沙汰されてしましがちですが、大事な部分はこの法令の中に

 

『捨て子禁止!』や『病人の保護!』

 

がうたわれていたことです。

この時代、ようやく精神的にも物理的にも、最低限のインフラが整ってきている状態でしかありません。

そこにはまだまだ戦国時代の名残で傍若無人に振る舞う人間も中にはいたそうです。

ちょっと酒に酔って機嫌が悪いとその辺の野良犬を痛めつけたり、自分より弱い動物に暴力を振るったり・・

そんな貧しい精神面を強制していくため、いくつもいくつも細かい法令がつくられ、それらがまとまって生類憐みの令といわれていったのです。

自分より弱いものへ乱暴をするという精神を、更生させるような法令の集まりですから、もちろんその相手が”自分より弱い立場の人間”も対象です。

ですので、『捨て子禁止!』や『病人の保護!』も当然法令のひとつとして、存在していました。

何かに変化をもたらす為には、それなりの”強制力”が必要になってきますからね(@_@;)

 

その後も実は続いていた!生類憐みの令

徳川綱吉(5代目将軍)の死後、生類憐みの令はすぐ廃止された・・

と習った記憶の方も多いと思います。

実はこれ半分正解で、半分不正解なのです。。

 

先にも掲げたように、生類憐みの令は130以上もの法令から成り立っていました。

これおそらくですが、福祉のための政策としてはじめたはいいものの、やり始めたら『これも強制したほうがいいな!』『あれも強制したほうがいいな!』といってどんどんドンドン増やしていってしまったんだと思います。

蚊を叩き潰しただけで『殺生じゃ~~~!!』とかいう会話もあったみたいな話もありますが、たしかにここまではやりすぎですよね。

ただ綱吉がこうなっていってしまったという気持ちも分からんでもないです。

 

ただこの蚊の殺生の法令の件、実際当時の庶民の空気では

庶民
『あー蚊殺したー!ますいよそれ(笑)殺生じゃね?!(笑)』

みたいな感じで、行き過ぎた法令は一種のネタみたいな空気になってたんじゃないかなぁ・・とも思います。

といったこともあり、次の将軍は行き過ぎた法令は廃止していきました。

しかし、精神として大事な『捨て子禁止!』や『病人の保護!』などの法令は、その後に将軍が何代代わっても、ありつづけたのです。

生類憐みの令自体は綱吉以降も江戸時代でずっと存在していたのです(@_@)

 

ここまでの要約

  • 江戸時代中期は、五街道がつくられた。
  • 江戸時代中期は世が安定した事により、芸術や学問の文化繁栄した。
  • 生類憐みの令は”福祉政策”だった。

 

江戸時代が長く続いた、そして文化が一番繁栄した、そうした実績がなぜだせたのかは、江戸時代の歴代の将軍たちがしっかりと政策を考え行ったからであることが今の時点ではわかります。




 

江戸時代・後期の政策

江戸時代中期は、平和な世の中のもとで、より民度が高くなるような法律が施行され、精神的なインフラが今まで以上に確立されていきました。

また、現代でも多くの日本人が使っている道路、五街道を整備するなど、物理的なインフラもしっかりと構築されていきました。

安定した平和な世のうえに、さまざまな芸術や学問が流行し、まさに江戸時代は絶頂期をむかえていたのです。

しかし、江戸時代後期は飢饉に見舞われ、その飢饉に対応する政策作りがメインになります。

 

享保の大飢饉

徳川吉宗(8代将軍)の時代に起きた大飢饉が、享保の大飢饉です。

享保の大飢饉

この大飢饉は主に、冷夏(夏が涼しすぎる)により、農作物が不作になり、飢え死にする人がたくさん出てくる。こういった時代でした。

吉宗はこうした状況を打開する為、年貢で納めてもたった米を世の中にいきわたらせよとしますが失敗します。

むしろ当時のお米屋さんが、米を買い占めてしまい、米の値段が高騰することで、輪をかけて世の中の人々がお米を手に入れられなくなっていったのです。

人の心理について

米の値段が高騰するという現象は、現代のニンテンドースイッチの現象とほぼ同系色と考えられます。

ニンテンドースイッチは定価で3万円程度ですが、一時記、アマゾンなどのネットショップで売られている値段は、5~6万円という形でした。

これは、ニンテンドースイッチが流行ったら欲しい人がたくさん出てくる!そうして希少価値が上がると、定価より全然高い値段でも買う人がいる!

そうなれば、最初に定価でたくさんニンテンドースイッチを買った人は、1つ売るたびに2~3万円儲かります。

世の中というのは、こういう形でモノの値段が決まってくるのですね(・_・)

 

他にも吉宗は、『目安箱』や『新田開発』などなど結構いろいろな政策をしましたが、大飢饉という自然が起こす現象には太刀打ちできませんでした。

 

天明の大飢饉

さらにその30年後の、徳川家治(10代将軍)のときに起きたのが、天明の大飢饉です。

これは江戸時代の大飢饉でも最大規模だったと言われています。

天明の大飢饉

原因は、エルニーニョ現象にって冷夏になるという冷害でした。これもようするに農作物が育たなくなることに直結するんです。

ちなみに9月頃に雪が降り積もったという記録が残ってるくらい寒かったのです・・。

 

大飢饉が起きると世の中はどうなるのか?

  • 餓死者がおおぜい出ます。(なんで農作物が不作で米にありつけない人々が増えるので。)
  • 米屋が襲われます。(庶民が『米だせー!怒』と言って暴徒化します。)
  • どうにかしなきゃおさまりつかん!と思う政府側は”改革”を断行し始めます。

なので、

享保の大飢饉は”享保の改革”とセットになっていたり、

天明の大飢饉は”天明の改革”とセットになっているんです。

大飢饉の後に改革あり!って感じですね(@_@;)

 

こうした時に行った改革は、歴史上みてもあまりうまくいった試がありません。

それもそのはず、米屋は米を出し惜しみし、政府も次の飢饉への恐怖で米を出し惜しみします。

当時の”お米”は、今の”お金”と同じ役割です。

 

すると、今でいう”緊縮財政”と同じことがおこります。

緊縮財政とは

民主党政権の時の緊縮財政がまさにこれです。

『それ!2位じゃダメなんですか?』という蓮舫議員のフレーズを覚えている方も多いと思います。

こうした政策のみで予算を縮小しお金が回らない世の中になっていくと、経済が滞り、さらに不景気になっていくのです。

世の中が不景気にればなるほど、年貢の徴収率がさがり政府は貧乏になっていくのです。

ですのでこのあたりから江戸幕府の財政はどんどん悪くなっていきました。

 

浅草でミニチュア玩具を売っている小物屋さん!と飢饉との関係

余談ですが、浅草の浅草寺周辺には、爪のサイズほどしかない置物だったり、人形だったりが売られています。

これは、まさに江戸時代の飢饉による”緊縮財政”時代に

『庶民は倹約しろー』というお触れが出されました。

この時に遊び心を忘れない江戸の職人たちが、倹約を遊び心に変え隠れて売っていたのが、この爪サイズの小物なんです(@_@)

 

ここまでの要約

  • 徳川吉宗(8代将軍)以降は、大飢饉に悩まされた。
  • 大飢饉が大量の餓死者を出し、経済がとても悪くなる。
  • 大飢饉⇒民衆暴徒化⇒改革実行、といった流れが生まれるが、改革はどれも功を奏しない。

 

『貧乏ケンカせず。』という名言がありますが、まさに何かが『ない。』という状況は、争いを生む一番の原因になってしまうは良くわかります。

そんな時にも心に余裕をもてる人なんてこの世に存在するのでしょうか。




 

江戸時代・末期の政策

江戸時代(後期)では、自然災害からの大飢饉で人々は大変な思いをしました。

そしてその経済的不況から、江戸幕府は財政難になっていきました。

 

迫りくる外国の脅威

江戸時代が大飢饉、不景気にあえいでいた頃の海外の情勢はというと、

諸外国の情勢

・イギリスやアメリカの台頭

・欧米を中心とした”弱国の植民地化”

・当たり前のような貨幣経済の流通

・2,3歩先の軍事力(蒸気機関がすでに発明されていた。)

 

これらは全て、日本にとっての脅威となっていきます。

”欧米列強”と言われる国々が、大陸の他の弱い国を次々に植民地化し、その勢力を広げていっていました。

この頃になると、ロシアやイギリスの船が、日本近郊に頻繁に現れるようになっていったのです。

今の尖閣諸島の問題にも似ていますね・・。

 

自分たちの身は自分たちで守る!

度重なる大飢饉、その対応策としての改革の失敗・・

江戸幕府の財政はどんどんじり貧になっていきました。

そんな中で、頻繁に外国の船が日本近郊に頻繁に現れているのです。

江戸時代は鎖国をしていたといっても、オランダとは普通に貿易を行っていました。

ですので外国の色々な情報が、ちょいちょいみんなの耳に入っていたのは当然です。

  • 今、どんな国が強いのか?
  • その国がどんなことをしているのか?
  • 世界の情勢はどんな状況なのか?

しっかりとしたリーダーがいる藩(地域)は、この世界の状況が自分たちにとって、何を意味するのかを良くわかっています。

そうです、このまま何もせずにいれば、いずれ欧米列強に植民地にされ、日本という国はいづれなくなる・・

そういう事を意味するのです。

すでに江戸幕府は財政難、しかも政策の改革も連敗におわるという有能な人材の不足。

有力な藩はまず自分たちが力をつけるために行動に出ます。

 

有名なところでは、

  • 薩摩藩は幕府への多額の借金をほぼ踏み倒す形をとり、財政再建をし軍事力を強化した。
  • 長州藩も借金をなかったことにし、財源を確保し軍事力を強化した。

幕府は頼りないので、自分たちの身は自分たちで守る!ことを実現する為の、借金の踏み倒しです。

 

まさに”国難”の時代の訪れ・・

そんなこれからの日本をどうすればいいのか!!

そんな熱いマインドを持ち勉強をし続ける若者たちが、各地で議論に議論を重ねます。

若者たちの思想の種類

  • 攘夷派⇒日本を守る為、外国を戦うべき派
  • 開国派⇒多くの外国と積極的に交易し、近代化を図るべき派
  • 保守派⇒今まで通り幕府主体の政治で、鎖国を続けるべき派
  • 尊王派⇒幕府はもういいから天皇を尊重すべき派
  • 倒幕派⇒幕府をむしろ武力で倒してしまうべき派

こうした思想の対立がおおやけになり、各地で思想からの争いが増えました。

この状況を納めるべく、徳川慶喜(15代将軍)が政治の権利を朝廷に返すという『大政奉還』がなされました。

そして朝廷は薩摩藩などの藩と連携し『大政復古の大号令』を発表。

ここに、日本で何百年と続いてきた武家政治が幕を閉じました。

そして

天皇政治へと転換しました。

 

ここまでの要約

  • 江戸時代末期、欧米の諸外国は弱い国を植民地化し支配することが当たり前になっていた。
  • 日本も植民地化のひとつとして、マークされ始めていた。
  • 江戸幕府はあいかわらずの財政難と人材不足だった。
  • 代わりに藩が、財政、人材共に豊富に取り揃えはじめていた。

 

日本という国を守るため、いろいろな思想が世の中で討論され、中には闘争に発展するケースも多々あった。

徳川幕府が政権を朝廷に返すという形で、徳川幕府は幕を閉じた。

いわゆる幕末という時代です。

江戸時代の末期に生きた人たちがどんな思いで、自分たちや自分たちの子供の将来を考えていたのかが伝わってくる時代です。

前の時代(安土桃山時代の歴史)についてはコチラ

次の時代(明治時代)のポイントについての記事はコチラ

次の時代(明治時代の歴史)についての記事はコチラ

 




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