お布施は払わないとダメ?由来とは何か?坊さんの収入源て考えちゃNG?

2019年6月28日、京都仏教会は、お布施やさい銭などの「キャッシュレス決済」の導入に反対する声明文を発表しました。

この声明文では、お布施について「財物に託して信者の心、魂を仏様にささげるものであり、対価取引の営業行為とは根本的に異なる」と指摘されています。

電子マネーやクレジットカードの決済データが外部に流出してしまうと、「宗教統制や宗教弾圧に利用される可能性がある」との危惧を示した格好です。

ぶったぎり君

時代だね。

まなぶ君

そもそも「お布施」ってなんなんですか。

「仏教ペイ」とかつくって、日本全国すべてのお布施を統一すれば終わりそうな話にも聞こえますが・・

ぶったぎり君

あ~それいいね。

「浄土真宗ペイ」とか「真言宗ペイ」とか、「キリストペイ」とか!

あ、キリスト教にお布施はないか。

まなぶ君

こうした事態が宗教界でも起きているのが日本の良いところでもあります。なんでもミックスして取り入れてしまうという日本の真骨頂です。

ぶったぎり君

まぁたしかに。

あと考えられるのは、そもそも僕ら現代人が「お布施」=「とりあえず坊さんに払うもの」とだけしか認識していない、だからこそ「同じお金なら電子マネーでもいいでしょ別に。」っていうものになりがちってことだね。

まなぶ君

今一度、「お布施」とは一体なんだったのかを知る必要がありそうです。

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お布施は払わないとダメ?由来とは何か?

お布施とは一体なんなのか?

まずはその由来や期限を知ることで、現代のお布施について考える第一歩となりそうです。

時代は紀元前500年、釈迦(シャカ)の時代にまでさかのぼります

ぶったぎり君

めっちゃ昔だね。。

当時インドで釈迦(シャカ)たち坊さんは説法をして世の中を周っていました。

悩める人たちに仏の考えを説いて、人々に生きる意味や生きる希望を授けて周っていたわけです。

で、一日中そうしたことをしている奇特な方々なので、自分たちが食べていくための生産活動(仕事)をしていません。ということで、彼らは説法をした人々から衣食を施してもらいながら生き抜いていました

まなぶ君

今でもたまに、街中の家の前に立って、ブツブツ何を説いている坊さんがいますが。


wikipedia

ぶったぎり君

そんな感じの人たちだね。

ちなみにこれを乞食(こつじき)と言うんだって。

で、たまに駅構内でホームレスの人が缶カラにお金を入れてもらおうと、座ってじっと待ってるけど、あれを乞食(こじき)というらしい。

字は一緒だけど、まったく別物だから注意が必要だ。

ということで、そもそも、ありがたい話をしてくれた坊さんに心ばかりのお礼として、着るものや食べ物を誠心誠意で施すことを「布施」と言っていたのです。

まなぶ君

紀元前ですからね。今のように貨幣という概念がそこまでなかった時代でしょうし、科学なんてものがない分、スピリチュアル的な話は神の恵みに聞こえたことでしょう。

だからこそ、説法を受けた方は心からの感謝の意を示すことができたのだと感じます。

ぶったぎり君

今の時代、坊さん以外にも色んな場所や人、ネットなんかでもそうした話を聞くことができる。

そう考えると、むしろ「坊さん不要論」さえ出てきてもおかしくない。

ただただ「お布施は払わないといけないもの」と思っても仕方のないことだね。だってこれもう「話聞いたら=何かあげる」という形式だけが残ってる状態にしか見えないから。

まなぶ君
人によっては、今でも説法で救われ誠心誠意でお布施を払っている方々もたくさん存在しているでしょうが。

ただ、由来を見ている限り、お布施の形は説法を受けた方たちが決めることです。

もらう側の坊さんが「電子マネーはうんぬん・・」と言ってしまうこと自体が、そもそもおかしなことに思えてしまいます・・。

お布施を坊さんの収入源て考えちゃNG?

ということで、私が見る限りでは「お布施」とは、”感謝の意を誠心誠意の気持ちを込めて返すもの”、簡単にいうとこういうことです。

であれば坊さん側は、お布施の支払い方について説く前に、説法を受けた側に生きる意味を与え、生きる希望を授ける、この点だけに注力すべきです。なんせお布施の由来がそうした坊さんの”気持ち”から成り立ってるものですから。。

ぶったぎり君

お布施のあり方に喝を入れる前に、自分たち坊さんがどういった存在であるべきかを考え直したほうがいいんじゃない?

まなぶ君

坊さんに厳し目の意見ですが、何かあったのですか?

ぶったぎり君

いや、お寺さんて比較的良い車乗り回してたりするの見るから、なんか違和感しかないんだよね。

ちなみにこのサイトの管理人さんの親父さんの葬式に、坊さん遅刻してきたし。

そんな人間に何かを説かれても何も響いてこないよ。

てな感じなので、我々現代人は「お布施」を「坊さんの収入源」だという認識で取り扱っても良いと思います。というか、そう考えないとすべてに置いて腑に落ちない状況が出来上がってしまいますし。

中には、本当に良い坊さんもたくさんいるでしょうが、坊さん学校が存在している時点で「坊さん」と「ビジネス」は切っても切れない関係なのです。

であれば、現金だろうが電子マネーだろうが、坊さんがそれで収入を得られればそれでOK。何が問題なのでしょうか・・。

まなぶ君

ビジネスライクな坊さんが増える中で、「お布施」だけ昔の感覚の意味を持たせようとすること自体、ナンセンスです。

坊さんの心の形態が変わってきているからこそ、「お布施」のあり方が変わってきている。

自然な流れです。

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まとめ

・「お布施」とは元来、「人々に生きる意味や、生きる希望を説く」ことへのお礼として、受けてが誠心誠意、着るものや食べものを施すものだった。

・現代社会では、「坊さんの説法=何か(お金)あげる」という形式だけが残ってる状態。

・その原因は社会のせいではなく、「お布施」の本来の意味をなくしてしまった坊さんの責任もある

・よって、お布施を現金で払おうが電子マネーで払おうがどちらでも良い。むしろ「お布施」のあり方を坊さんが決めること自体、そもそもの由来から考えて間違っている。

ぶったぎり君

誤解してないてほしいのは、管理人さんは決して坊さんが嫌いなんかではないってことです!

まなぶ君

70代の檀家さんに聞いたことがあるんですが、「檀家さんはお寺の子供を檀家たちみんなで立派な住職にしてあげるのが仕事」という考えが主流だそうです。

ぶったぎり君

もはや当時の釈迦たち坊さんとは全く別物だと考えたほうがよさそうだね。

まなぶ君

まぁでも坊さんというのは大切な文化の一部です。

文化をしっかり残すという意味でも、「お布施=収入源」という見方でお金を渡してあげましょう。

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