平安時代とはどんな時代だったのか!まとめて簡単解説!背景には疫病も?

平安時代はどんな時代!?

平安京・征夷大将軍・関白・・・、誰もが聞き覚えのあるフレーズや人人名がたくさん出てきます。

でも実際ひとつひとつをうまく説明できるって聞かれると中々難しいところが実情だと思います。

今回は、上記の有名フレーズや人名が一体どんなものであったかを、簡単に解説していき、大きな枠組みでの平安時代とは?を感じて頂ければと思います!




 

 

平安京に都を移した

奈良時代末期には、『疫病やら震災やら人災やらもういろんな悪い事がごちゃごちゃ起こり、とりあえず土地を他の地に変えてリセットしようぜ!的なノリで奈良から京都(平安)へ都を移しました。

794年(なくよウグイス平安京)これがその年代ですね!

で、歴史年表的には、その次に797年『坂上田村麻呂』が征夷大将軍(せいいいたいしょうぐん)になる』と書かれています。

ここで、征夷大将軍とは一体どんな役職かですが、

 

ざっくりいきますと、まず『蝦夷(えぞ)』という地域がありました、今の東北地方です。

当時の日本の中心は関西方面だったので東北地方は外国みたいなもんです。そこを討伐しにいった官職の中に『征夷将軍』なるものがありました。その征夷将軍の中でもっとも活躍し認められた者が『征夷大将軍です。

たしかに文字を分解すると、『夷(東北地方)』を『征(せめてこらしめる)』という、まんまの意味ですね(@_@;)

ようは、時代の流行りの東北討伐で一番活躍したひとが、カリスマとして扱われる感じですね。

東北の人たちからしたらたまったもんじゃないですけど、、一応この時に東北地方も日本の一部となったのです感覚としては(・.・;)




 

最澄と空海のご登場

唐(中国)から帰ってきた最澄は、『天台宗』を伝えました。

同じく、

唐(中国)から帰ってきた空海は、真言宗を伝えました。

このお二人のお話、別の機会にまとめますので、今回はここまでにしておきます。

空海と最澄についての記事はコチラ

 

『関白』とかいう役職の登場!

アナタは関白って何する人か知ってますか??

・・・

摂政とごっちゃになってません(@_@)??

まぁごっちゃになってるのは私の方なんですけど。

 

・摂政⇒天皇が大人になるまでの間だけ、政治を執り行う役職

・関白⇒成人した天皇をサポートして政治を行う役職

 

という違いがあります(@_@;)

早い話、関白最強説です!天皇が死ぬまで代わりに権力持てるんですから!

で、この関白に初めてついたのが『藤原基経』というひとです。

まぁこの藤原さんの家系、今まで摂政をずっとやっていたので、最終的に関白になって、ずっと天皇の代わりに権力を・・的な欲が出てくるのは当然の流れですね。。

でも安心して下さい。ちゃんと宇宙のバランスとでもいいましょうか、出てくるんですよそれを許さない勢力が!

 

”菅原道真”

 

彼が何をしたのか!別記事(菅原道真という偉大なる人物)でまとめてますのでご覧ください!

 

まとめ

・平安を求め平安京に都を移す

・東北(蝦夷)を攻め込むことが時代の流行りになる

・蝦夷を攻め込んだ中での一番すごかった『坂上田村麻呂』が征夷大将軍となる

・空海と最澄が唐(中国)からちゃんとした仏教を持ち帰ってくる

・”関白”という天皇の代わりになんでも出来ちゃう役職が登場

ひとつひとつが長くなるので、個々に別記事でまとめますので追ってご報告いたしますm(__)m

少し前の時代(奈良時代から平安時代にかけて)の記事はコチラ

次の時代(鎌倉時代の歴史)についての記事はコチラ

 




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