鎌倉時代とはどんな時代か?簡単に文化や武士の人物像からわかりやすく解説!

源氏が平氏を倒し、平安時代が終わりゆく・・

平安時代末期、源氏が平氏を倒し、いよいよ時代の主役が変わっていきます。

次の時代は『いい国つくろう鎌倉幕府(1192年)』なのですけれども、その前の1185年にすでに源氏は『守護・地頭』を全国に置きました。

・・守護、地頭とはなんぞや?から政治の流れまで、わかりやすく見ていきましょう!




 

 

 1185年『守護・地頭』の全国設置

守護と地頭の役割

・守護⇒その土地を取り締まる警察みたいなもの

・地頭⇒その土地の年貢(税)を集める税務署みたいなもの

源氏(源頼朝)は、まず上記ふたつを全国に設置し、そのトップに立ちました。

これ実質政治の実権を握ってますよね。

なので最近では、鎌倉幕府が1192年ではなく、1185年だと言われるようになったのです。

 

政権奪還から十数年で、源頼朝死亡。その後は・・

実は源頼朝が死後、源という名の政権は3代までしか続いていませんその後は『北条氏』が代々実権を握っていく事になります

 

突如表舞台に登場した”北条氏”とは

北条氏が歴史の表舞台に登場した理由は、源頼朝の奥さんが『北条政子さん』だからなのです。まぁイメージ的には今のファーストレディ的なことでしょう。元々、北条氏一族も武士の一族でした。

鎌倉幕府の3代目(源実朝)が死ぬと、源氏系の血筋が断絶してしまします。ここで”源頼朝の奥さん”という立場から、北条氏が時代の主役を担っていきます

 

北条氏の政治の仕方

北条氏は政権を維持するために、まず貴族の藤原氏を招き入れます。ですが朝廷(後鳥羽上皇)はこれを認めてくれませんでした。

後鳥羽上皇
『政治の素人が貴族の血筋を迎え入れても結局のところ、素人は素人やで!』

北条氏
『ぐぬぬ・・(なんとか皇族をこっち側の血筋に取り込みたい・・)』

当時はこんなかんじだったのです。

ただ、それから何十年もしてようやく皇族を将軍として迎え入れる事ができました。よかったですね北条氏。

 

なんで北条氏が自ら将軍にならなかったの??

なんか普通の感覚ですと、源氏がなくなったら、その奥さんの血筋である北条氏が将軍として政治を執り行ってもいい気がします。でも北条氏は、最初は貴族の藤原氏を迎え入れたり、次は皇族を迎え入れたり・・

『自分たちで政権やんないんかいっ!!』って感じますよね。

これには理由があり、

一説によると『天皇はどこまでいっても神!めちゃくちゃすごい家系!』という民間意識が今よりもっと根付いていました将軍はどこまでいっても将軍という人にすぎない。おおみたから(日本に住む人)の一人にすぎず、神にはなれないし、そんな感じに見られなかったのです。

なので北条氏はいろんな根回しや混血をして、権力だけではなく、権威(天皇っぽさ)も手に入ることで、政治を裏で操ろうとしました。

しかし、最後まで民衆たちの意識がついてきませんでした。

たしかに『将軍さま』は立派な功績をたてた血筋だという民意はそれ相応にあったと思います。

しかし、天皇と同じように権威を押し出されても、『いやいやいや、ちょっとそれは違うでしょ・・』って一般人は少しひいていたのです。

当時の幕府は、どこまでいっても天皇(神)のもとで存在している”人”にしかすぎない。

幕府の力が全国に万遍なく行き届いていなかったことが伺えますね(゜゜)




 

鎌倉時代ができてから約100年後・・

1192年に鎌倉幕府ができてからおよそ100年後、大陸の方からとんでもない外人の猛者たちの大群が、日本に攻めてきます。モンゴル帝国というやつですね。

日本がグローバル社会になったのは、最近な気もしますが、やはり昔から世界の動きに合わせて日本も変化してきているんです!日本史と世界史って切っても切れない関係なんです!!

 

そして外国からの圧力が・・

1200年代後半頃、大陸側のほとんどを侵略した”モンゴル帝国”が、いよいよ極東の日本に攻めてきます。

世にいう『元寇』です。

約10年の間に2回、日本に攻めてきましたが、2回とも『台風』によって侵略にきた人たちはあわてふためき逃げていったという歴史です。

 モンゴル帝国と一言で言っても、いろんな国の人々の寄せ集めで形成されていました。そうした人々が今の”ネットワークビジネス”のような形で、モンゴル帝国に仕えていたというのが正しい認識です。当時の様子を描いた絵には、よく見ると元寇の中に普通に黒人の方も描かれています。当時の国という認識の強さからいくと、なかな斬新な国作りですよねモンゴル帝国!

実際この時、日本に攻めてきたモンゴル帝国は、朝鮮半島のと中国の端っこの人々の寄せ集めだったみたいです。なのでゴリゴリのモンゴル帝国の人々のような血気盛んさはなかった、という事もあり最後まで日本に攻めきれなかった、というのが現在の認識のようです(@_@;)

 

武士たちの困窮

元寇に備えて色々駆り出されていた武士たち。最終的に元寇は台風のおかげで防げたけど、頑張った分の報酬や勲章は何もなかったのです。で、この時代経済も滞ってたので、民衆はもう不満爆発寸前。

 

後醍醐天皇 登場!

教科書では、この時期に後醍醐天皇が『よっしゃ!今なら実権にぎれるで~』という思いから、鎌倉幕府を倒そうとしました、と習ったと思います。たしかに薄い記憶で、後醍醐天皇=陰気で悪い奴、的なイメージがうっすら残っているのではないでしょうか?

しかし、最近の見解ですと

後鳥羽上皇
『このまま鎌倉幕府が実権握って政治していたらみんな死んじゃう!あかん!』

てな思いで、鎌倉幕府打倒を決意したとの認識なのです。

 

足利尊氏 登場!

そんな後醍醐天皇に見方をしたのが”足利尊氏”です。足利家は元々”源氏”の血筋の分家ですので、足利家がいきなり表舞台にでてきたわけではないのですね。

他にも、楠正成・新田義貞という強者が後醍醐天皇に味方し、鎌倉幕府はいよいよ滅ぼされました。

 

まとめ

・源頼朝が鎌倉幕府をひらき『鎌倉時代』が始まった。

・源氏の血筋は3代で終了、その後は北条氏が裏で実験を握った。

・どこまでいっても『天皇』という存在には逆らえない(そういう民間意識がしっかり根付いていた)

・”血筋”って結構大切

天皇制廃止とか議論もされている昨今ですが、”天皇”という民間意識は今でも脈々と我々に受け継がれているのを考えると、廃止したところでまたすぐ復活しそうな感じもしますね(@_@;)

 

ちなみに、

知りたがり君
鎌倉時代は何があった時代なの?

と聞かれたらこう答えましょう。

ぶったぎり
もともと源氏が開いた幕府だったんだけど、本家の血筋が途絶えちゃって源氏の嫁さんの方の血筋である北条氏が実権を握り続けたんだ!で、”御成敗式目”とかの法律つくったり頑張ったんだけど、経済政策で目立ってうまくいったものがなかったし、その間に、地域地域で結束や談合が強くなっていき、ますます民衆の生活は苦しくなっていったみたい。

ぶったぎり
その間にさらに最強の外国人が二回も日本に攻めてきたりで超大変。その政治を見かねた後醍醐天皇が『鎌倉幕府がこのまま政治してたらみんな死んじゃうんじゃね!?』という思いで討幕を決意。それに呼応した足利尊氏たちが、鎌倉幕府を倒して鎌倉時代は終わりをつげたんだ!

てな流れですね。ただ、歴史って結局本人に聞いてみたわけじゃないので、どんな思いで何をしようとしていたのは、後付けなのですよね(@_@;)

ほんとその時の政権を担っている人の本音って一回は聞いてみたいですよね。今の総理大臣も人間の両面併せて何を考え何を思って政治をしているのか、気になります!!

この時代、鎌倉時代の法律(御成敗式目)についての記事はコチラ

前の時代(平安時代の歴史)についての記事はコチラ

次の時代(室町時代の歴史)についての記事はコチラ

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