北里柴三郎の功績は〇〇を普及させたこと?お墓はあの有名な霊園に眠る!

『令和』という新元号のもと、新紙幣として千円札の顔になることが濃厚な北里柴三郎さん。

昔、教科書で名前だけは聞いたことがあるようなないような・・というレベルの記憶しかありませんが、千円札の顔になるということは、それだけ大きな功績を残したはず。

中年の立派な社会人として、今後千円札片手に北里柴三郎を語れたら、きっと一目置かれる存在になれることでしょう。

ということで、そんな北里柴三郎さんについて簡単に見ていきたいと思います。

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北里柴三郎の功績

(出展:wikipedia)

北里氏の最初の功績は”免疫医療”を確立させたことです。

1886(明治19)年、当時ドイツに留学し、結核菌やコレラ菌の発見で世界的に有名なロベルト・コッホのもとで研究をしていた北里氏。

彼は破傷風菌の毒素を少しづつ動物に注入することで、その動物の体内に菌に対する耐性ができ、その後、大量の菌を注入しても破傷風が発病しないことを突き止めたのです。

この手法(血清療法)を、当時流行していた急性感染症であるジフテリアに応用し、間接的に世界中の患者を助けました。

ぶったぎり君

まさに現代の『予防接種』の先駆けだね。

まなぶ君

こうして予防医療が誕生したのですね。

そして、1894年(明治27)年には謎の伝染病が蔓延していた香港に派遣されます。

そこで北里氏は、謎の伝染病の正体が『ペスト菌』であることを突き止めたのです。

伝染病であるペストの感染予防のためには、『患者の隔離』『検疫』『上下水道整備』などが必要でしたが、彼は研究以外にもこうした施策を取ることで『伝染病予防法』の成立にも力を注ぎました。

ぶったぎり君

神だねこりゃ!

まなぶ君

みな平等に存在する”人生の時間”ですが、私が睡眠に時間を注いでいる時間を、彼は世界中の人を救う時間に変えていたのですね。

なんだか生きているのが忍びないッス・・

ぶったぎり君

まぁまぁ・・。

北里柴三郎が眠る墓地とは

(出展:wikipedia)

北里柴三郎氏は東京都港区南青山にある『青山霊園』に眠っています

青山霊園には数多くの著名人のお墓があり、一部を挙げただけでも以下のとおりです。

  • 池田勇人(内閣総理大臣)
  • 犬養毅(内閣総理大臣)
  • 忠犬ハチ公(昭和初期、主人に忠誠を尽くしたと評された忠犬)
  • 大久保利通(内務卿、維新の三傑の一人)
  • 杉田玄瑞(蘭学者)

等など

ぶったぎり君

すごい顔ぶれだね!

まなぶ君

なにやら不思議な気持ちになります。

著名人と言っても、歴史上の教科書で見る人物ばかりです。

お墓があるということは、しっかりと実在していたのですよね。まぁ教科書に載っている程なのでそうなのですが・・

なにかこう、一気に身近に感じることができますね。

ぶったぎり君

そうだね。僕の家の近くには勝海舟さんの実家跡地があるよ。生きてた時代は違えど、たったの150年ちょっと前に、まさにこの目の前で歴史上の人物が生きていたんだと思うと感慨深くなるよね。

まなぶ君

え?そうですか?

ぶったぎり君

おい!

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北里柴三郎のプロフィール

(出展:http://www.rikasuki.jp/rika_no57/rika_no57.htm)

  • 名前:北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)
  • 生年月日:1853年1月29日
  • 没年: 1931年6月13日(78歳没)
  • 出身:現・熊本県阿蘇郡小国町

北里氏は現在の熊本県阿蘇郡小国町に生まれ、武家の家系であったこともあり将来的には軍人になるという夢がありました。

しかし、両親のすすめで熊本医学校に進学し、そこで初めて顕微鏡を覗きます。

拡大された身体の一部の組織を見て感激し、北里氏は医学の道にまっしぐらとなるのです。

その後、東京大学医学部に入学し『病人を救う医療も大切だが、医療の使命は病気を予防することにある』という考えにいきつきます。

そこから、現在の厚生労働省の前身である内務省衛生局に勤めながら、衛生思想や予防医学についての関心を強め、ドイツに渡り医学に必要な”細菌学”を学ぶべく日本を発ちました。

ぶったぎり君

ここから北里さんの華麗なる発見の数々が始まったんだね!

まなぶ君

やはり大きな成果をもたらす人は、昔から何かに没頭している人がほとんどです。

ぶったぎり君

まなぶ君は昔から没頭してたこととかあるの?

まなぶ君

横になりながらの”瞑想”

ぶったぎり君

寝てんじゃん!

その後、福澤諭吉が設立した『私立伝染病研究所』の初代所長に就任

さらに北里氏は、自らの私費を投じ、私立北里研究所(現・社団法人北里研究所であり北里大学の前身)を設立しました。

江戸時代に生まれ、明治、大正、昭和と、現在の日本の基盤をつくった激動の時期に彼は生きたのです。

1931(昭和6)年6月、東京麻布の自宅にて脳溢血により、彼の人生の幕は閉じました。

ぶったぎり君

こりゃ千円札の顔になっても文句のつけようがないね!

まなぶ君

同じ人間とは思えませんわ。

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