空海と最澄の違いや関係は?時代や覚え方は超能力がカギ?

仏教界の超有名人のお二人

仏教界の超有名人である空海&最澄、彼らは現在にも名を残し、いまだに世の中に影響を与え続けている存在です。

死んでからも生きているとはまさにこのことですね・・。

そんな空海と最澄ですが、それぞれどんな人だったのか?

有名な童話で『うさぎとカメ』の話があります、天才的なウサギと、コツコツ努力するカメ。空海と最澄は共に努力を惜しまないウサギでありました。

具体的に見ていきましょう!




 

 

空海について

香川県の地方豪族の家庭で生まれ育ち、恵まれた家庭環境のなか猛勉強をするような子でした。エリート官僚になることが目標であったが、20歳くらいの時に”仏教”に魅了されのめり込んでいきました。

仏教の研究に没頭していた30歳のある日、『遣唐使』のメンバーに選ばれます

この遣唐使に選ばれてる時点で、それなりに社会から認められている有識者だったぽいですね。

 

で、遣唐使として唐(中国)に行き、当時の仏教の”最先端”である『密教』を学びます。しかもひくのが密教をマスターするまで何十年もかかるといわれていたところを、2年でマスターし日本へ帰ってくるのです。

日本へ帰ってきた空海は、嵯峨天皇(さがてんのう)から高野山という山を一個プレゼントされました。その山に”金剛峰寺”という寺を建てて修行にはげみます

ここからが空海のすごさなのですが、洪水で堤防が崩れたところの土木工事をしたり、みんなが学べる学校みたいなものをつくったりと、いろんな人々と関わってみんなを喜ばしていきました

そんな功績が認められ、醍醐天皇より「弘法大師」という名前をプレゼントされました。

 

よく天皇から名前プレゼントが行われてますけど、今でいう人間国宝の指定みたいなものなのでしょうかね(@_@;)




 

最澄について

金持ちだったかどうかは不明ですが、滋賀県で生まれ12歳で寺に弟子入りし、19歳でお坊さんデビューをしました。

どんな教育受けてたら12歳で『弟子入りしよ~』なんて思うんですかね(@_@;)

で、その後、生粋の仏教坊やである最澄は比叡山という山の延暦寺で修業をしていました。

 

そんな中、最澄もまた『遣唐使』のメンバーに選ばれます。

なんかあれですね、一つの事に継続して打ち込んでる人は誰かがちゃんと認めてくれるんですね。

 

ここで空海との違いは、最澄には通訳がついていたそうです。この時すでにそれなりの有名人だったことが伺えます。そして1年半後に密教半習得くらいの時に日本に帰ってきます。12歳から仏教坊やである最澄なのになんで密教マスターして帰ってこなかったのでしょう?

それは、そもそも通訳付きのエリートだったので遣唐使の期間が決まっていたのです。

ちなみにこの最澄の修行場である延暦寺で修業をした仏教坊やたちが、後の世代で続々と有名になります。『日蓮宗の日蓮』、『浄土宗の法然』、『臨済宗の栄西』、『浄土真宗の親鸞』、『曹洞宗の道元』。彼らはみな最澄の教えのもと育っていったのですね。

 

まとめ

最近では、空海のそのあまりの凄さに「超能力」だったという説もあります。

一方、最澄は努力の天才です。

こうした違いで二人の血違いを覚えておくとわかりやすいです。

・空海は努力もするし、仏教という土台の上で周りとの交流を大事にした

・最澄も努力もするけど、自分が選んだ人間(弟子)と密に交流をした。(なので有名な弟子多数)

空海は超努力家でしかもコミュニケーション能力も高いスーパースター的な感じです。

一方の最澄は、超努力家の勤勉タイプ。

それぞれタイプは違えど超努力家という共通点は同じです。

世の中、いきなり何でもできる天才なんて存在しないのですね。やはり日々の積み重ねの努力の量によって実力が変わってくる。それは超有名な仏教坊やの空海や最澄も変わらないのだと感じます。まぁそもそもの頭の出来はめちゃくちゃ良かったんでしょうけど(@_@;)

空海や最澄までは出来ないですが、なにかひとつのことを日々継続して学んでいきたいですね!

空海や最澄が生きた(平安時代の歴史)についての記事はコチラ

前の時代(奈良時代の歴史)についての記事はコチラ

次の時代(鎌倉時代の歴史)についての記事はコチラ

 




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