明治時代の政治のまとめ!政治の仕組みは西洋文化?

明治時代を押さえる前に知るべき大事なポイント

日本の歴史について。

江戸時代まで

日本人が

”日本文化の中でどう国をつくっていったか?”

という時代でした。

 

しかし江戸時代の末期以降は、

江戸時代末期以降

日本人が

”世界の文化の中で、どう国をつくっていったか?”

に変わっていきます。

日本国内のあらゆる事が、”世界の動き”を意識した歴史の流れとなっていきます。

この考えを押さえた上で、明治時代のポイントを見ていきましょう!




 

 

世界(外国)は悪なのか??

江戸時代(江戸幕府)を終わりに追い込んだ、日本国内の勢力は、ただ単にわがままや自分たちの利益の為にやっていたわけではありません。

日本国内に新勢力が登場した背景

”外国の脅威への対抗”

この一言に尽きます。

 

ここからお話する”外国人”については、日本人からすると、一見おかしな行為に感じるかもしれませんが、外国人からしたら普通の行為です。

なので一概に、日本人が良くて外国人が悪い、外国人が良くて日本人が悪い、という感覚では語れません。

それぞれの”文化の違い”や”価値観の違い”が歴史の土台になります。

 

世界(外国)の状況

世界では植民地経営というものが主流でした。

世界の流れ

・ポルトガルとスペインが世界を牛耳っていた。

・その頃まだ力の弱かったイギリス人が、アメリカ大陸へ移住(開拓)していった。

・元々アメリカ大陸に住んでいた人々(原住民)を、殺し自分の土地にしていった。

※これは原住民を人として見ない文化があったので、当時の開拓者にしてみれば悪気はないのです。これを見るとピンとくると思いますが、イギリス人とアメリカ人は兄弟みたいなもんです。。

 

補足

基本ヨーロッパの人々は、田畑を耕すという文化が薄かったと言われています。

生い茂った緑を食べつくすと荒れ地になります。

荒れ地から食べ物は採取できないので、他の土地に行き今度はその生い茂った緑を食べる。

その際、原住民には死んでもらう・・

(原住民を同じ人間として見る文化がそもそもないので悪気はない。)

基本はこの考えがベースになり”他の土地へ侵食する植民地”なるものが始まっていったのです。

現在”砂漠地帯”になっている地域(アメリカ大陸は特に多い)を見ると、元々の原住民が殺され、生い茂っていた緑も食い尽くされたその土地が砂漠(肌色になっている土地)になっているのが一目瞭然でわかります。

参照

※出展 googleMAP(https://www.google.com/maps/)

年月が経つにつれ、侵食した土地の原住民を殺さずに統治するスタイルが主流になってきます。

この侵食した土地の”統治”を、他のいろいろな国がやりだすと起こってくるは、侵食した土地(植民地)の線引き合戦です。




 

現代の問題は、この時代の歴史が原因!

アフリカ大陸で現在も紛争が絶えない理由は、この時代に、ヨーロッパ諸国が原住民の土地感を無視し勝手に領土を線引きしてしまったことが原因となっています。

アフリカといっても様々な民族が存在しています。

ある日突然、全然違う文化を持ったアフリカの民族たちは、

ヨーロッパの人
『今日からアンタたち!うちの植民地として同じ領土の民族になるからよろしく!』

とヨーロッパの人に言われるのです。

戦争はほぼ民族感情というもので生まれることを考えると、そりゃむりやり同じ土地に押し込められた民族同士がケンカになるのは当然です・・

これが、現代も解決の意図口が見えてこない”民族紛争”の原点なのです。

 

ここまでの要約

・明治時代は”世界”の中での”日本”を見据えながらつくられていく。

・外国人は悪ではなく、もともと日本人とは”価値観の違い”が大きい。

・現代の紛争の火種は、この頃の植民地経営で原住民を勝手に線引きしたことが原因。

生きる為にみんな必死。そこに正義も悪もない。

そんなことが伺える世界の歴史です。

植民地経営が主流になる前は、そもそもヨーロッパの人々はヨーロッパ内の土地の取り合いをしていました。

日本は幸い島国で、しかも世界の端っこに存在しているので、いまのような平和な文化が根付くことになりましたが、ヨーロッパのような地域性で、様々な民族感情が存在していれば、そりゃ文化の発展が遅くなりますよね・・

”平和な生活が文化を育てる”ので・・。

 

明治時代の政治、大事なポイント!

江戸時代末期から明治時代に入る際の、日本の政権交代劇は世界を驚かせました。

江戸時代から明治時代への切り替えのタイミングは、江戸時代最後の将軍『徳川慶喜』が、朝廷へ政権を返したタイミングだと言われています。

これにより江戸幕府は実質的に存在しなくなり、江戸時代はおわりを告げたということです。

これに、

世界が驚いた!

というのです。

世界が驚いたのはなぜか!?

それは政権交代に武力闘争(争い)が一切出てこずに政権交代したという点です。

それまでの日本もそうでしたが、その時の外国も政権が代わるときは、王様が殺されたり権力者同士の武力闘争で何百人も死んだりと犠牲者がたくさんでるのが当たり前でした。

しかし、この時の日本は俗に”無血開城”と言われている通り、”話し合い”という形だけで政権が交代されたのです。

これには日本を『極東の小さな島国』としか思っていなかった諸外国の人々は驚いたそうです。

(徳川慶喜はとりあえず潔く政権返して、後で取り返そうと思っていたという説もありますが。)

 

明治時代の政治、3つの柱

明治時代をイメージで掴むには、

明治時代3つのポイント

・国内政治の整備

・軍事力の強化(外国との戦争)

・経済力の強化(産業の発展)

この3つの柱が大きなポイントとなります。

 

そもそも外国の脅威に立ち向かうために出来た政府でしたので、この3つはマストポイントでした。世界で戦うためには今の時代も、この3つは外せません。

現在、影響力のある大きな国と言われている国を想像してみるとわかりやすいですが、上記3つを確実に押さえています。

どれか一つでも損なわれていくと、国としてのパワーも弱体化していくのです。

 

国内政治の整備

まず明治政府が行った政治に『廃藩置県』があります。

藩を県に置き代えました。

 

廃藩置県

今までの、藩(土地)に根付いた大名がその藩(土地)を統治していたスタイルをやめさせ、

代わりに、

県に、明治政府が派遣した県知事を置き、その県知事が県を統治するスタイルに変更しました。

現代のスタイルはこの時に出来たのですね( ゚Д゚)

 

そして『地租改正』です。

地租改正

江戸時代までの農民は大名に年貢(米)を税金として納めていました。

これはその土地をあくまで大名から借りて農作物を作っていたので、こういった流れでした。

これを撤廃し、今度は国が”その土地を使う権利”を農民に与えました。

そのうえで、農民は国(明治政府)に対して税金を納めるような形になります。

ちなみにこの時から税金は年貢(米)ではなく、”貨幣”で納めるようにと決まりが出来ました。

明治政府が直で統制できるスタイルに固まってきましたね(@_@)

 

さらには『大日本帝国憲法』です。

大日本帝国憲法

国の根幹を決めることになる憲法ができました。これは明治政府が日本の在り方を決め推し進めていくためにつくった憲法です。

 大日本帝国憲法のポイント

・天皇に今までの日本にはない”権力”が与えられた

・議会の設置(衆議院と貴族院)

・選挙制度の導入(一般人の政治関与)

ただ、選挙制度は高所得の一般人にしか認められておらず、現在のスタイルになるまでにはここから何十年もかかります。

 

国内政治に関しては、大きくこの3つが取り上げられます。

まずは国の基本方針と、それに伴う税収の確保、こうしたポイントをしっかり押さえる政策です!

 

ここまでの要約

・国の政権交代で血が流れないことは珍しいこと。

・明治時代の国内政治の整備では『廃藩置県』『地租改正』『大日本帝国憲法』がつくられ、明治政府(国)の基本方針が形作られていった。

明治時代の前半だでこの回でまとめようとしたのですが、”国内政治の整備”だけのまとめになってしまいました・・。でも大事なポイントと感じています。

 

軍事力強化

明治時代を押さえる3つのポイントの2つめは、軍事力の強化です。

なぜ軍事力が必要なのか?

それは一言にすると、日本と言う国を守る為です。

 

現代社会では、北朝鮮やイスラエルなどの小さな国は”核兵器”を所有しています。

これはまさに小さな自分の国を守る為の防衛手段といえます。

小国や経済力が乏しい国は、”核”を持つことによって外国からの不平等な侵略から身を守ったり、また不平等な条約を結ばされないよう抑止力としての大きな役割を果たしています。

 

明治時代当時の世界では、まだ”核”は存在していなかったので、この時代に出来る国を守る防衛策は、”地道に軍事力を強化し経済成長をしていく!”これしか選択肢がありません。

ですので、日本はこの選択肢の通りに国の政策が進みます。

 

日本を守るために・・

明治政府は、この外国からの脅威に対抗すべく、まず『学制』という制度を施行します。

学制

学制は今の義務教育のはしりみたいなもので、6歳以上の子供に日本の近代化や強い軍事力に向けて教育を受けさせました。

”教育は投資の中でも一番投資効率が良い”と言われています。

言い方が悪いですが教育は一種の洗脳みたいなものですからね(@_@;)

それが幼いうちからとなれば尚更に、投資効果は強いです。

なのでこの時代の日本人はひとり一人が『日本のために』という強い思想を持つようになっていきます。

 

そして、『徴兵制』です。

徴兵制

兵役の義務ってやつです。

20歳以上の男子がこの兵役に駆り出されました。

今の日本には兵役は存在しませんが、今でも多くの国で兵役制度が存在しています。

いまだに兵役を科している国々をみていると”紛争が起こりやすい地域”に属している国がほとんどな気がします。

こんな便利な時代になっても、自分体の身は自分たちで守るしか今のところ正解はないみたいです・・。




 

地政学という観点

世界の覇権はまさにこの”地政学”というもので成り立っています。

”陣地とりゲーム”みたいなものですが、どこの国も、自分たちの国の領土に入られる前に”自分体の国の手前の国”でなんとか防ぎたいと思っています。

中にはただただ自分たちの国の覇権を広げていくために侵攻を続ける国もあります。

大国と呼ばれている国が主にそうです。

地政学とは

海に囲まれていたり、山がそびえたっていたり、嵐が多かったり・・

その土地にはその土地の自然的な地域性というものがあります。

こうしたメリット、デメリットをうまく活用して、国を守る戦法、はたまた他の国を攻る戦法を考えていくのがまさに地政学という学問なのです。

この時代までの日本は、この地政学上のメリットに何度も助けられていた部分が大きいです。

『島国』『極東』『台風多い』etc・・

攻め込む国側からしたら、結構大変そうですよね(・_・)

・・日本がなぜこの後、戦争大国になっていってしまったのか。

この地政学という考え方が大きな役割を担っていく事になっていきます・・。

 

ここまでの要約

・明治時代の3つのポイントの1つは、軍事力の強化。

・軍事力の強化は、自国を守るために必要最低限なこと。

・日本はこのとき、6歳から教育し知識をつけさせ、20歳になったら兵役させるという法制度をつくり、強い国民を大量に生み出すことで軍事力の強化を図った。

・地政学の観点から日本の戦争の歴史が進んでいく。

 

この時代に日本を守るために、もっと他の方法はなかったのだろうかと考えてみもしましたが、おそらくなかったと思います。

世界の空気自体が、話し合いで解決できる空気ではなかったでしょうし、また、侵攻(侵略)が当たり前の空気だったっぽいですからね(@_@;)

日本が世界の一部になっていく、ということは、日本もその空気(侵略が当たり前)の一部になっていくのと同じことだったとも取れます。

 

経済力強化

明治時代を押さえる3つのポイントの3つめは、経済力の強化です。

なぜ経済力の強化が必要なのか?

それは、国民が疲弊し貧しくなり、最終的に国がまとまらなくなるからです。

国は経済状況が悪化してくると、国民ひとりひとりの不満が溜まり、治安が悪くなり、統制がとれなくなり、国がバラバラになっていきます。

そして最後には政権交代ってのが歴史上の定石です。

政権交代になればほとんどの制度などを一から形作っていくので、またそこから時間がかかります。

 こんな事が、この明治時代に起っていたら、おそらく日本は外国の植民地になっていたでしょう。

混乱している国を乗っ取るのと、一枚岩の国を乗っ取るのでは、後者のほうが断然難しくなってくるのは一目瞭然です(@_@;)

そしてお金がなければ軍事品もなにも継続的に変えません・・。

 こうした考えのうえでも、国の経済力発展はまさに”命題”だったのです。

 

経済力強化のための具体的な取り組み

ちなみに”経済”とは、

『経世済民』の略です。

 経世済民とは

”世を治め人民を救うこと”です。

ということで、”経済の発展”とは、”世の中の人の心を安定させて、人々をさらにハッピーにしていくこと”と言い換えられます!

『ひと・モノ・金』という言葉をよく聞きますが、これらの循環が起きれば起きるほど経済は発展し強化されていくのです。

明治政府の政策

『八幡製鉄所』や『富岡製糸場』といった大規模な工場をつくったり、鉄道が敷きました。

他にも、銀行や郵便局、新聞などもこの時代に生まれました。

こうしたものは『ひと・モノ・金』を大きく動かし、経済を発展させます。

それにより日本という国が外国にも負けないような力(経済力・軍事力)をつけていくことになります。

俗に『産業革命』の時期と言われているこの時期の”プラスのループ”は、

・明治政府になり各国との貿易が盛んになる

・もっともっと大量に貿易で売る商品をつくるために大規模な工場ができていく

・日本の産業が発展

・大きな会社がいくつも生まれていく

・大きな会社は戦争に必要な”船”や”鉄”をどんどん作っていく

といった感じです(@_@)

 

文化的な後押し

明治時代で有名な『福沢諭吉』や『夏目漱石』は江戸時代の生まれです。

なんとなくそんな昔の人のイメージがないのは、めちゃくちゃ近代的で頭のいいイメージがあるからでしょう・・。

特に『福沢諭吉』の『脱亜論』という作品は、

福沢諭吉
『外人さん、もう原住民無視した植民地とかいう発想やめようぜ・・この世界に住む人間は全て同じに見ようぜ・・。』

といった内容です。

今でこそ、この考えは世界で当たり前の発想になってますが、当時の世界観からしたら

外国人たち
『なんだコイツ~』

的なことでしかなかったのでしょう。

逆算すると、それほど江戸時代というのは、近代的で文明的な思想が、既に定着していたことがわかります。

明治時代に入り、このスピード感で国の発展がなされることが出来たもうなづけます。

 

ここまでの要約

・明治時代お押さえる為の大事なポイントのひとつは『経済力の強化』。

・『ひと・モノ・金』が大きく動き続けることで日本の経済力は強化された。

・経済力の強化は、その後の戦争の為の軍事品生産にも大きく寄与した。

・著名な文学者は、すでにこの時代背景を凌駕した現代的な思考を持っていた。

なんかこの時の日本人の勢いやばいですね(@_@;)

あとづけになっちゃいますが、戦争まっしぐらの匂いしかしないです・・。こうして強国となっていく日本がこのあと立て続けに戦争をしていきます。

この時代の一般人はどんな気持ちで生きていたのでしょうか?まさかこの経済成長が戦争に発展するなど夢にも思っていなかったのか・・

それとも、それなりの軍事教育をみな受けているので、”戦争”のための経済成長だと認識しながら生きていたのか・・

タイムマシーンでに乗って会って聞いてみたいものです(@_@)

前の時代(江戸時代の歴史)についての記事はコチラ

この時代(明治時代の歴史)についての記事はコチラ

 




最近読まれている記事↓↓

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)