奈良時代末期・庶民の疫病はいつまで?平安時代の文化と違いは?

奈良時代から平安時代の違い

仏教、大仏、僧侶など、奈良時代ではこれらのひとやモノが歴史の主役を担ってました。そんな奈良時代も終わりをつげ、平安時代に入っていきます。

奈良時代と平安時代は、違いがないような印象を受けますがその通りで、奈良時代をカスタムしてパワーアップさせたのが平安時代とイメージするとわかりやすいです!




 

 

道鏡(どうきょう)という稀代の悪

仏教メインのこの時代道鏡という僧侶が台頭します。道鏡は皇族に入り込み、みるみるうちに権力をつけ、最終的には国の政治に口出しをし始めます

で、いきつくところは権威の最高峰”天皇”。奈良時代って疫病や災害が多発していました、その中でどこからともなく『道鏡を天皇にすれば平和な世の中になる。』と噂がたっていきました。これはおそらく道鏡自身が裏でそういう噂が流れる空気を作ったと言われています

 

ここで道鏡が天皇になっていたら、今の日本はなかったでしょう大化の改新のときは権力をふるい天皇になろうとした蘇我氏を天皇自らが暗殺し、天皇生粋の血筋を守りました。今回は『和気清麻呂』という貴族がこの道鏡の横暴に異を唱えます

 

道鏡『みなさんがそこまでいうのなら天皇?なってあげましょうか!(よっしゃこれでオレはこの国の全てを手にいれることになるぞ―――笑笑)』

和気清麻呂『ちょっとまってもらってイイっスか!!あんたいち僧侶でしょ?さすがに天皇になるってのはやりすぎでしょう。』

民衆『まぁたしかに、言われてみればそうだよな・・ザワザワ』

そんなこんなで、道鏡が天皇になることはなくなりました。

長年にわたり、日本が日本でいられるのは、”権威”(天皇)”権力”(時の政権)がしっかりと別枠で存在し続けているからなのです。

 

和気清麻呂さんがしっかり道鏡を否定してくれなければ、争いで権力をものにした者が権威と権力をもってしまう世の中になっていってしまっていたでしょう。ありがとう和気清麻呂さん。

ちなみに、そんな和気清麻呂は日本の影の立役者として、皇居に銅像が建てられています。




 

桓武天皇『もう無理!まじ無理!』

この時代、疫病、震災、仏教勢力拡大など・・世の中は混乱続きです。

いろいろ起こると何かリセットして1からはじめたいと思う事ってありますよね。

桓武天皇がそう思ったかどうかは不明ですが、桓武天皇は奈良から長岡京へ都を移しました

が、ここでも疫病などは収まらず、ものの10年で今度は平安京へ都を移しましたもう何でもいいから”平安”でいて~という思いが伝わってきますね・・。

※ちなみに平城京(奈良県)、平安京(京都府)です。

 

国の混乱の裏で進んでいた荘園制・・

奈良時代に制定された『墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)』ってのがありました。

奈良時代について(墾田永年私財法など)についての記事はコチラ

土地を開墾したら、その土地永遠に私有化していいよ~という決まりです。

狙いとしては、たくさん田畑を増やして国を豊かにしていくというものでしたが、これ、お金持ちがお金持ちになるパターンです・・(お金持ちが農業する人をどんどん雇って、農家が大きくなればその分だけお金持ちの土地になっていくのですから。。)

お金持ちがお金持ちになるパターンを簡単にイメージすると・・

①たくさんの人を雇える資本がある

②たくさん雇った人たちに、たくさんの土地を開墾してもらう

③開墾した土地の分だけ、自分の所有する土地がどんどん増える ※①へもどる

 

実は疫病やら仏教やらで大変な問題の裏では、こうした資本家を生み出す社会が進んでいたのです。

 

まとめ

・道鏡という僧侶が権力を振りかざして、天皇になろうとした。

・和気清麻呂という貴族が”天皇の血筋”を大切にすることを説き、道鏡を排除した。

・全ての世の混乱をリセットするため、(平城京)奈良県から(平安京)京都府へ都を移した。

・墾田永年私財法の副産物として、荘園制度(金持ちが金持ちになる)がちゃくちゃくと進んでいた。

ただ周りのことを考えずに、個人の欲を最優先するひとは、歴史上必ず浄化されていくことが確認できました。不思議な国ですよね日本て(´◉◞౪◟◉)

これ、逆に考えると、周りのことを考えて優先してあげるように生きれば、自分にとってえらいイイことが起きるんじゃないんですかね!

少し前の時代(奈良時代全般)の記事はコチラ

次の時代(平安時代の歴史)についての記事はコチラ

 




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