Contents
節分の由来は○○からきてるのよ~とは簡単に説明できない理由
2月の行事と言えば、『節分』。
家の内外かまわず豆をまき散らし、”鬼はー外!!!”と雄たけびをあげ歩き回る・・そしてなぜか、”福はーうち!”と言いながらも豆は投げつけるという光景・・そんな行事です!
節分の由来はざっとこんな感じ↓↓
・節分は季節を分けるという意味。
・分けた季節(春夏秋冬)の中でも『春』は農作物を耕すうえでスタートの年なので、昔の人にとっては一番重要な季節。
・そして季節の変わり目には『邪(わるいもの)』が現れるという言い伝えがそもそもあった。
・邪(わるいもの)は鬼の姿をして現れるのが定説だった。
・そんな鬼の目になにかをぶつけて退治しようという考えから、退治アイテムを模索していたところ、『(鬼の目)魔目』⇒『まめ』が退治用アイテムに選ばれた。
現代では、理由や根拠を明確にせずに何かをやらせることが多すぎだとは思いませんか?!
大人がこどもに対してだけではなく、大人が大人に対しても!これだと折角やったことや教わったことも、本人にとっては無意味なこととしての認識が強く、記憶の定着率が下がりますのでもったいないです!
こどもは疑問が多いのがとてもイイです!知りたいって気持ち大事ですからね。大人でも疑問が多い会社の新人は『コイツええやん前向き~!もっと教えてあげよう!』ってなります。
では上記の由来をこどもたちに、疑問を潰し、やさしく伝える為のロープレをご覧ください↓↓
節分の由来の疑問を潰していく、子供へのやさしい伝え方














子供は鋭いですからね・・難しいたたかいでした(疲労・・
基本このパターンを軸にあとは臨機応変にアレンジで対応願います!!!!
節分に豆をまくワケの大人的理解
節分とは読んで字のごとく、『季節』を『分ける』、すなわち『季節の変わり目』のことを意味しています。
ということで、本来的には節分は四季の数だけ、すなわち年4回あったのです!
豆まき行事になるまでの理由①
季節の変わり目である『春(立春)』は、厳しい寒さの冬を超えてテンションは上がり、農作物をつくる人々にとっては、ほんとの意味での一年の始まりと捉えられていました。
ですので、この日は一年の始まりの日!重要な日!として存在していました。
豆まき行事になるまでの理由②
そして、昔から『季節の変わり目には邪気が入り込む!』という中国の言い伝えがありました。そしてその邪気を払うために中国では、『追儺(ついな)』と呼ばれる厄払いの行事が行われていたのです。
豆まき行事になるまでの理由③
一方、日本では『邪(悪いもの)』=『鬼の姿』をして現れる!という言い伝えがありました。
豆まき行事になるまでの理由④
その鬼(邪)を追い払うためには、鬼に何かをする必要があります。
そう、鬼の目に何かをぶつけて苦しませて追い払うのです!
ここで、じゃあ何をぶつけるのか!?・・
鬼の目(魔物の目)⇒『ま・め』 ・・・( ゚Д゚)。。。
上記、『豆まき行事になるまでの理由①②③④』の理由を全て足してみると、あら不思議!
もはや節分には豆まきしかありえない!くらいの意味合いになっています!
福は~うちっ!の合言葉の意味
これは完全に、『豆まき行事になるまでの理由①』の残り香ですね。
そもそもは、農作業を始めるめでたい日でありましたよね、そうなんです!正月に歳神様をお迎えするところからも察するように、日本人は『お・も・て・な・し』の民族なのです。
大切な日に『福神様』に来ていただくのは当然の流れです。
いつから始まったのか!?
奈良時代に、大流行した疫病を払うために始まったとされています。
奈良時代といえば、遣唐使です。そうです、遣唐使で唐(中国)へ足を運んでいた日本人が、むこうで『邪を払う儀式』を見て、それを持って帰ってきたところから。得意のアレンジを加え節分はスタートしています。
まとめ
ただ豆を投げりゃいい・・ではなく、本来の意味を感じながら節分文化を残したいものですよね!
ただ、本来的には『邪を払い!福の神を出迎える!』そうしたシンプルなところからの発進だったと言えるでしょうが日本と中国のバックグラウンドをまず伝えなければ節分の本当の由来を伝えられません!
豆を投げるこどもは勢いよくとても楽しそうに・・
豆をぶつけられる大人の鬼のお面の中の表情はなごやかに・・
独身サラリーマンにとっては、とてもうらやましい光景。。
同じ2月のイベント(バレンタインデーの起源)についての記事はコチラ