7月には『お中元』の季節がやってきます。


考えてみればお中元について『飲食物的なものを送る事』という認識しかないです。
ほんとはですね!自分自身もういい大人なので、お中元のひとつも誰かに送らないとダメなんですよ!でもお金がもったいないが先行しちゃうんですよ!!ここに関しては『最近の奴らは・・』と言われてもぐうの音もでないですね・・。
話は戻って、お中元の意味合いの結論からいきますと、
・古来中国では、中元という神様の誕生日を祝いお供え物をする行事があった。
・日本では、盆礼(お盆時期に、親や親戚、さらには近所へ訪問し、品物をあげる習慣)があった。
この二つの文化が融合していったものが、お中元なのです!
それぞれの行事や習慣がどのようにして、今のお中元の形になったのかをひも解いていきます!
お中元とは
お世話になっている方へ”贈り物”をする習慣のこと。
・上元(一月十五日)
・中元(七月十五日)
・下元(十月十五日)
そして、それぞれの「元」に対し、それぞれに神様&行事が存在していました。
この「元」というのは、3人の神様それぞれの誕生日にあたり、これらの日は「神様の誕生日を祝い、お供え物をする」と言う日でした。
※ちなみに「感謝の気持ちを伝えること」であり、「お祝い事」ではありません。
したがって「喪中」だとしても失礼に当たらず何も気にすることはありません。
この時期に『お盆』という行事が既に存在していました。
お盆には、
・迎え火(死者を家にお迎えするのあたり、家の場所がわかるように火をたくこと)
・送り火(死者があの世へ帰るための火打石的なニュアンスで火をたくこと)
・盆礼(お盆時期に、親や親戚、さらには近所へ訪問し、品物をあげる習慣)
お中元は行事の融合体
そうした中で、
・古来中国での「中元」(神様の誕生日を祝い、お供え物をする)
・日本での「盆礼」(お盆時期に、親や親戚、さらには近所へ訪問し、品物をあげる習慣)
上記二つの行事と習慣が融合していきます。

これらが自然に融合していくのは当然の流れでだったんだ!
なぜなら中元は、古来中国からある行事だったし、盆礼も、元々は仏教が中国から入ってきた時に一緒に入ってきている行事だったからだよ!

生き別れた兄弟が異国の地で出会った感じですね。
まどろっこしくなりましたが、
『お盆』の時期には、『日頃感謝しているひと(親戚やご近所や知り合い)』へ、その家に来る神様への『お供え物』を送る!
という現代の習慣になっていったのです。

考えてみれば、学生時代まだ実家に住んでいるとき、送られてくるお中元は、仏壇の横に重ねて置かれていたな・・。
置く場所に困って置いていたのかと思ってたけど、『お供え物』としての認識があったから仏壇の横に置いていたんだね!

目からウロコでました。@(_@)
今のお中元スタイルが浸透したのはいつ頃からか
しっかりと把握されている歴史では、室町時代からです。
この時はまだ公家(貴族)の間でしかとり行われていませんでしたが、江戸時代に一般庶民の間でもこの習慣が固定化していきました。
”お歳暮”との違いって
これも諸説存在します。
ですが、正月についての日本文化を見ていくと見えてくるものがあります。
まず、正月は歳神様がやってきます。
この歳神様をおもてなしする行事がお正月です。
そうです、『神様をお迎えする系』という所で、お中元とお歳暮は共通点があるのです。
お歳暮よりお中元の方が歴史が古いです。
推察ですが、そんなお中元の習慣化が進む中で、

『正月も神様来るよね?!』

『いっそのこと正月も神様くるんだからお中元みたいに何かお供え物を送るべきじゃない?!』

『でも正月は飛脚(配送)やってないから、年末に送ってあげるのがベストじゃない?!』
こうしてお歳暮文化が育まれたと見ています。。
まとめ
・古来中国では、中元という神様の誕生日を祝いお供え物をする行事があった。
・日本では、盆礼(お盆時期に、親や親戚、さらには近所へ訪問し、品物をあげる習慣)があった。
・この二つが融合し、『お盆』の時期に、『日頃感謝しているひと(親戚やご近所や知り合い)』へ、その家に来る神様にむけた『お供え物』を送る習慣が出来た。
・お歳暮はお中元のオマージュとして発祥(これと言った発祥理由が存在しないので推察)
これでお中元と聞いても、なんとなく『あ~融合体の行事ね~★』みたいな感じで思い出せれば親近感が湧きますね。
ちなみに自分は30代半ばですが、人生で一度も自分でお中元を贈った事がありません。
周りの同僚や上司も送ってる気配ないですし・・
こうやって古き良き日本文化は無くなっていくのでしょうか・・。
CMでもやたらとお中元をモチーフにしたものが多くなるよね!