大和朝廷と古墳
歴史の勉強で、具体的な人物名が登場するのは、ちょうどこの辺りからです。
『朝廷』と聞くと天皇の匂いがプンプンしますね!
現代や過去では朝廷とか宮内庁とか色んな呼び方があって、何のことを言ってるのかこんがらがってくるのも、この時代から・・。
この時代から呼び方くらい統一しといてよ・・
と言いたいところですが、歴史に出てくるフレーズなんて後の時代での人が後付けしたものがめちゃくちゃ多いですからね・・まぁ仕方ないとしましょう^^;
ちなみに、
・大和朝廷とは、日本で初めて天皇が国を統治し始めた時代の政治の中心
・古墳は、お墓ではなく水田作りで余った土を集めた盛り土にしかすぎない
ここの結論を押さえたうえで、詳細を見ていきたいと思います。
大和朝廷とは・・邪馬台国と何が違うの?

(出展:https://ja.wikibooks.org/)
まず邪馬台国には、様々な仮説があります。
仮説①:邪馬台国は突然消滅し、大和朝廷なる新たな巨大組織が誕生した。
仮説②:邪馬台国が大和朝廷という巨大組織に変貌を遂げていった。
ようは、時代が古すぎて、これっていう記録もないので、あくまで仮説が立ってるだけなのですね。
なので、何が正解なのか今現在でもわからないままなのです。
ですが個人的には、「仮説①」の突然何かが消滅して、突如大きな何かが現れるっていうのは、いささかオカルト色が強いので、「仮説②」のほうを取り上げて深堀りしていきます。
邪馬台国が大和朝廷という巨大組織に変貌を遂げていった説

(出展:http://dng65.com/blog-entry-5260.html)
先程の仮説②(邪馬台国が大和朝廷という巨大組織に変貌を遂げていった。)が事実だった場合で話を進めます。
ちなみに、なぜ私が仮説②(邪馬台国が大和朝廷という巨大組織に変貌を遂げていった。)を推奨したのかというと、
縄文時代、弥生時代、邪馬台国の時代、と歴史の流れをみていくなかで、歴史というのは、そこにあった文化がひとつずつつながって歴史になっているからです。
そうなってくると、
仮説①:(邪馬台国は突然消滅し、大和朝廷なる新たな巨大組織が誕生した)は、かなり無理があります。
大和朝廷とは

仮説②に至る経緯はこうです。
1.日本には邪馬台国と呼ばれる大きな集団組織があった。
2.そのうちのひとつには、卑弥呼という女王が存在し、人望がありカリスマ的人気を誇っていた。
3.卑弥呼の子孫が天皇と呼ばれる人物になっていった。
4.この頃から、邪馬台国は次第に大和朝廷と呼ばれるようになっていった。
こう考えると、天皇というカリスマが、今でもカリスマであり続けている事実にも、しっくりいくことができます。
大和朝廷と古墳の関係

で、天皇がいる大和朝廷のカリスマ性が板についてきたこの時代(日本という組織の開始)
『古墳建設』がめちゃくちゃ流行っていったのです。
一般的な教科書では、
『強力な豪族たちが、力の弱いものに、古墳という自分の墓を作らせたのです。』
『それでこの時代には、古墳がたくさん作られていったのです。』
と、教えられます。
しかし、現在での有力な説はこうです↓↓
”古墳”とは、公共事業の際に余った土を貯めていた場所
おぅ!今までのすべてが覆りましたね!
詳しく解説していきますと、
この時代は、基本、大和朝廷が取り仕切る中で、天候に左右されずに稲作ができるようにするため、
”水田”をたくさんつくる公共事業プロジェクトが大々的に進んでいきました。
水田を作るには、その土地の土を掘って、水が通れる路を作ります。
ここで堀起こされて余った土を盛っていた盛り土こそが、”古墳”だったのです。
なので、この時代に古墳がいたるところに出来始めていきました。
ちなみに古墳がいっぱいできた全盛期だったころの天皇こそが、”仁徳天皇”だったのです。
(仁徳天皇とは、民を豊かにしたことで有名で、民に愛され死んでいきました。)
このことから、仁徳天皇が眠っている古墳(大仙陵古墳)は、仁徳天皇が私利私欲のためだけに、自分用の大きな墓(古墳)を作らせたわけではなく。
水田をいたるところにつくるよう音頭をとり、民の生活を豊かにしてくれた仁徳天皇の死を悔やんだ民たち自らが、一番大きな古墳(盛り土)に仁徳天皇を埋葬してあげた。
という流れです。
まとめ
①邪馬台国のカリスマ、卑弥呼の子孫が天皇
②カリスマ天皇のもと、邪馬台国は大和朝廷に変化
③民が食いっぱぐれないように、水田をつくる公共事業が始まった
④その水田作りで、掘り起こされた余った土をまとめ固めたのが、古墳。
⑤水田作成全盛期の天皇は仁徳天皇。
⑥仁徳天皇は、民から愛され、仁徳天皇の死を惜しんだ民たちが
感謝の気持ちを込めて、一番大きな盛り土(古墳)に仁徳天皇を埋葬した
※前方後円墳などの古墳の形があるのは、
何個もつくってマンネリ化してきて、
おしゃれ感をだしていったということみたいです。
(なんか軽いな汗)
この説あっているのかどうかは正直タイムマシーンで見にいかないとわからないレベルですが、
この時代の流れを覚えるのには、非常にしっくりくるストーリーです!
いい大人(人間)になるためには、人に愛されることをするべきだと再認識出来ました☆
さらに次の時代、(飛鳥時代後半の歴史)についての記事はコチラ
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